インスーリンダ紀行

英日翻訳者(ロンドン大学SOAS翻訳修士課程修了)が、愛する小説の翻訳と格闘しつつ、心動かされた文学について書いています。

始まりと本と映画の話

(*ここからは、noteの方にも書いている記事になります)

 

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2018年の春、私はロンドン大学SOASの図書館の狭い棚の間で座り込んでいた。とある英文小説に出会い、これは、日本で映画にしなければならない、と思った。
よくそこまで飛躍できたと思うけれど、その思いは、四年以上経ったいまでも驚くほど変わっていない。

タイトルは、’The Gift of Rain’
『雨の贈りもの』としたいところだが、この本における ’gift’ は、そう簡単には訳せないのだ。

マレーシア人作家 Tan Twan Eng氏のデビュー作、’The Gift of Rain’は、2007年にイギリスで刊行された。太平洋戦争時の日本を扱った歴史長編小説だ。自分で書いたシノプシス(出版社持ち込み用の企画書)から、【概要】を抜き出してみる。

 

「頭が忘れてしまっても、心が覚えている。それは、記憶じゃなくて愛そのものなんだ」

第二次世界大戦末期、英植民地下のマレーシアペナン島で、イギリス人と中国人のハーフとして生きる16歳の孤独な少年フィリップは、謎の日本人駐在員、遠藤に出会う。彼を先生と慕い、その厳しさと愛に触れ、心身ともに成長してゆくフィリップだが、遠藤の正体は日本軍の諜報員だった。二人の深い絆と別れの物語が、ひとり戦争を生き延びたフィリップの視点から、日本軍マラヤ侵攻の悲劇をよみがえらせつつ壮大なスケールで描かれる。

 

第二次世界大戦時、アジアの国々で言語に絶する蛮行を犯した旧日本軍。日本人があまり認識していない歴史の闇をさらす海外小説、と言ってしまえればたやすいが、この本にはその説明が似合わない。日本軍による「華僑粛清」を生々しく描いていながら、遠藤と主人公の交わりをとおして示される日本の姿は、あまりに尊く、そして切ない。
両立しえないはずのものが両立している小説であり、戦後の和解の可能性を、被害国であるマレーシアの側から示した希少な物語。日本人の心をこそゆさぶる、しかし日本人には絶対に書けない作品なのだ。

ブッカー賞にもノミネートされ、すでに15カ国以上で刊行されているこの本が、なぜ、日本で出版されていないのか。最初に読み終えた時、私は涙でぐしゃぐしゃになりながら、その奇跡に感謝していた。日本軍の描写が残酷だからか。そんな理由でこの本をボツにした人は、最後まで読んでいないのにきまっている。

SOASの修士論文でこの本の日本語訳を扱い、その流れで自分が訳そうと決めた。出版社に問い合わせ、ありがたくも原作者のTan氏と知り合った。

そして四年が経ち、全訳が終わった。気づけば私は日本に帰っていて、一歳だった息子は五歳になっていた。

むろん、長編小説の翻訳というのはそんなに甘くはない。ずっと勉強を続けて、まだまだ何度でも推敲を重ねて、アップデートしていきたい。出版社を探すのも一筋縄ではいかない。
当面の目標は、この小説を日本語で出版することだ。ある種のエンターテイメント性に富んだこの物語を、読みやすく美しい訳書にして、一人でも多くの日本人(日本語を母語とする人)の心にとどけること。先の戦争の記憶がこの国から消えないうちに。

その葛藤の日々が、今の私の「現時点」だ。
このブログにも、そんな日々や、これまでに歩んだ道のりを綴るのだと思う。

それでも、最初から映画だなどという発想になったのには、いくつか理由がある。

一つは、翻訳書では届く先がどうしても限られること。このような重いテーマの歴史長編小説ではなおさらだ。

二つは、海辺を舞台に描かれる情景が、現実離れして美しく、ときにファンタジックなこと。映画のワンシーンのような場面が数多く登場し、それをどうしても絵で見てみたいと思うこと。そう、私はこの物語が日本でアニメーションになってほしいと本気で夢見ている。

三つは、日本の加害の過去を描いていながら、日本人の心に突き刺さる日本人ヒーローが登場すること。こんな物語は二つと存在しない。加害の過去を描いた作品が、大衆の心をつかむチャンスなのだ。

遠くにある目標を、建ててから差を埋めていく。翻訳書を出せれば十分だ、という気分になることももちろんある。けれども、自分が抱き続けている思いは、言い訳でねじ伏せずに大切にしたい。

口に出さずにいるのが楽だった自分を叱咤激励すべく、いろいろな方に励ましていただいて、少しずつ言葉にしてみることにしました。
私の背中をそっと押してくださった一人一人の方に、心から感謝しています。