インスーリンダ紀行

英日翻訳者(ロンドン大学SOAS翻訳修士課程修了)が、愛する小説の翻訳と格闘しつつ、心動かされた文学について書いています。

始まりと本と映画の話

(*ここからは、noteの方にも書いている記事になります)

 

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2018年の春、私はロンドン大学SOASの図書館の狭い棚の間で座り込んでいた。とある英文小説に出会い、これは、日本で映画にしなければならない、と思った。
よくそこまで飛躍できたと思うけれど、その思いは、四年以上経ったいまでも驚くほど変わっていない。

タイトルは、’The Gift of Rain’
『雨の贈りもの』としたいところだが、この本における ’gift’ は、そう簡単には訳せないのだ。

マレーシア人作家 Tan Twan Eng氏のデビュー作、’The Gift of Rain’は、2007年にイギリスで刊行された。太平洋戦争時の日本を扱った歴史長編小説だ。自分で書いたシノプシス(出版社持ち込み用の企画書)から、【概要】を抜き出してみる。

 

「頭が忘れてしまっても、心が覚えている。それは、記憶じゃなくて愛そのものなんだ」

第二次世界大戦末期、英植民地下のマレーシアペナン島で、イギリス人と中国人のハーフとして生きる16歳の孤独な少年フィリップは、謎の日本人駐在員、遠藤に出会う。彼を先生と慕い、その厳しさと愛に触れ、心身ともに成長してゆくフィリップだが、遠藤の正体は日本軍の諜報員だった。二人の深い絆と別れの物語が、ひとり戦争を生き延びたフィリップの視点から、日本軍マラヤ侵攻の悲劇をよみがえらせつつ壮大なスケールで描かれる。

 

第二次世界大戦時、アジアの国々で言語に絶する蛮行を犯した旧日本軍。日本人があまり認識していない歴史の闇をさらす海外小説、と言ってしまえればたやすいが、この本にはその説明が似合わない。日本軍による「華僑粛清」を生々しく描いていながら、遠藤と主人公の交わりをとおして示される日本の姿は、あまりに尊く、そして切ない。
両立しえないはずのものが両立している小説であり、戦後の和解の可能性を、被害国であるマレーシアの側から示した希少な物語。日本人の心をこそゆさぶる、しかし日本人には絶対に書けない作品なのだ。

ブッカー賞にもノミネートされ、すでに15カ国以上で刊行されているこの本が、なぜ、日本で出版されていないのか。最初に読み終えた時、私は涙でぐしゃぐしゃになりながら、その奇跡に感謝していた。日本軍の描写が残酷だからか。そんな理由でこの本をボツにした人は、最後まで読んでいないのにきまっている。

SOASの修士論文でこの本の日本語訳を扱い、その流れで自分が訳そうと決めた。出版社に問い合わせ、ありがたくも原作者のTan氏と知り合った。

そして四年が経ち、全訳が終わった。気づけば私は日本に帰っていて、一歳だった息子は五歳になっていた。

むろん、長編小説の翻訳というのはそんなに甘くはない。ずっと勉強を続けて、まだまだ何度でも推敲を重ねて、アップデートしていきたい。出版社を探すのも一筋縄ではいかない。
当面の目標は、この小説を日本語で出版することだ。ある種のエンターテイメント性に富んだこの物語を、読みやすく美しい訳書にして、一人でも多くの日本人(日本語を母語とする人)の心にとどけること。先の戦争の記憶がこの国から消えないうちに。

その葛藤の日々が、今の私の「現時点」だ。
このブログにも、そんな日々や、これまでに歩んだ道のりを綴るのだと思う。

それでも、最初から映画だなどという発想になったのには、いくつか理由がある。

一つは、翻訳書では届く先がどうしても限られること。このような重いテーマの歴史長編小説ではなおさらだ。

二つは、海辺を舞台に描かれる情景が、現実離れして美しく、ときにファンタジックなこと。映画のワンシーンのような場面が数多く登場し、それをどうしても絵で見てみたいと思うこと。そう、私はこの物語が日本でアニメーションになってほしいと本気で夢見ている。

三つは、日本の加害の過去を描いていながら、日本人の心に突き刺さる日本人ヒーローが登場すること。こんな物語は二つと存在しない。加害の過去を描いた作品が、大衆の心をつかむチャンスなのだ。

遠くにある目標を、建ててから差を埋めていく。翻訳書を出せれば十分だ、という気分になることももちろんある。けれども、自分が抱き続けている思いは、言い訳でねじ伏せずに大切にしたい。

口に出さずにいるのが楽だった自分を叱咤激励すべく、いろいろな方に励ましていただいて、少しずつ言葉にしてみることにしました。
私の背中をそっと押してくださった一人一人の方に、心から感謝しています。

『夕暮れに夜明けの歌を』終わらない物語

(作品内容の少々のネタバレを含みます。)

 

このエッセイ集という名の「文学作品」の凄みは、読者がいったい何を読まされているのか、最後の最後まで気づけない点にある。そんなふうに思う。

ロシア文学研究者、翻訳家でいらっしゃる奈倉有里先生の初の随筆集、『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス

2002年、高校を卒業して単身ロシアに留学し、ロシア国立ゴーリキー文学大学を日本人としてはじめて卒業するまでの物語。他言語に出会うこと、その言語に生きる人々を知ること、学ぶことの喜びにあふれた本だ。ただ、2021年10月の出版されたこの本の視点はいまにある。

「人と人を分断するような言葉には注意しなさい」

レフ・トルストイの言葉が引用された章がある。このトルストイの言葉は作品の、著者の想いの根幹を成すものだ。この章は無料で公開されていて、いまのロシア・ウクライナ情勢に向き合う上で非常に大切なことが、第一人者の視点から丁寧に記されているので、ぜひ読んでいただきたい。

https://note.com/eastpress/n/n637ccdbefa6a

(ちなみに奈倉先生は、かの『同志少女よ、敵を撃て』の作者である逢坂冬馬先生の、実のお姉様である(!)。ここでは多くは語らないが、このお姉様にしてこの弟さんあり、とひれ伏す思いをしたことだけは書いておく)

 

奈倉先生の文章には気負いがない。特殊な体験を誇ろうという気がまったくない。飄々とつづられていく身の回りの出来事、あたかも普通のことのように進んでいく青春時代だが、これが想像を絶する"変わった話"である。

学びを愛するご両親のもと、「一家そろって昔の貧乏学生のような家」(p.5)で、趣味でドイツ語やスペイン語に没頭する母親に感化され、誰にもわからないであろう暗号のごときロシア語を学びはじめ、家中の家具家電にマジックペンで単語を書きつけ(母親の真似をして!)、見境なくロシア語をむさぼり、高校を卒業してロシアに行った頃には、検定試験の筆記で満点をとってしまう。会話もすぐに追いつく。ものすさまじい勉強量だが、悲壮な努力をしている様子はない。どう見ても天才なのだけれど、そんなことは関係ないし、読者も一瞬、これがふつうかとだまされる。まったくお構いなしに、「ユリ」は嬉々として、さらなる学びの深海に(深雪に?)飛び込んでいく。

乗るべき飛行機を見失って泣いている著者をなぐさめるバイオリン弾き、マイナス30度という気温、治安の悪い寮、サーカス団の子供たちとの共同生活、何かと「ユリ」に世話を焼くルームメートたち、文学漬けの日々。仙人のような先生、坂の上の小さな図書館……物語的要素がありすぎて、このすべてを体験して生きた著者が、いまこの現実に生きていることがだんだん信じられなくなってくる。

どの一章にも、どこまで掘っても干上がらない豊かさがあるのだけれど、各章の末尾に無駄なまとめはいっさいなく、かといって無駄なクールさもなく、優しくて少々お茶目な著者の、誠実な所感が端的に記され、スパンと終わる。自分を良く見せようという思いとは無縁の著者だ。そんな人が、良く見える以外にどうしようもないエピソードばかり畳み掛けてくるのだから、もう太刀打ちできない。

そんなわけで、こんな珠玉の章が最後まで続き、やがて著者は大学を卒業し、日本に帰国するのであろう、終わり方もこの上なく素晴らしいのだろう、という幸福な予想ができてしまう。残りの章が減っていくのが悲しくて、あえて読むスピードを落としたりもした。次の章に行くのを我慢して余韻を味わう。規格外のエッセイに出会ってしまった、という確固たる結論を胸に、ドキドキしながら先を読み進めていく。

ところがだ。章ごとに一応独立していた話が、途中から一点に向かって傾斜していたことに、だいぶ後になって気づかされる。事件が起きる。その事件のさなかにも、こんなことまであったのか、という瞠目的な思いしか私は抱いていなかった。すべての章があまりに濃密で、かつ著者が嘘を記さないことがもうわかっているので、ある意味感覚が麻痺してしまい、作品そのものの傾斜に気づくことができないのだ。

この傾斜の意味合いは、読まなければ分からない。あまりに切なくて、とても説明などできない。この作品を書いた著者が、いったいどの時間軸にいるのか、ときどきわからなくなる。ただ、そこには真心しかない。実験的にさえ思える巧妙さが、意図と呼んでしかるべきものが、著者の真摯な姿勢の手前で崩れ去ってしまう。いまだに謎のままだ。その謎を解き明かすつもりなど、奈倉先生にはないのだろう。私はそう思っている。

 

私がこの本を手に取ったのは、高橋源一郎先生の「飛ぶ教室」で、奈倉先生の「声」に惹かれたからだった。優しい、揺らぎがない、嘘がない、と思った。話の真偽のレベルではなく、一人の人としてどこまで深掘りしても嘘がない、と感じた。ああ、この方の紡ぐ言葉が大好きだ。だから本が素晴らしいのはわかっていた。ただ、実際手にした作品は予想をはるかに超えていた。

 

先日、セミナーで奈倉先生にお会いした。講義が始まる前から、私は緊張で震えていた。どうしてというほど緊張した。憧れの人に会える緊張なのか。自分が何をするわけでもないのにあそこまで緊張したのは、たぶん人生で初めてだ。

現れた奈倉先生は、写真から予想したイメージと違っていた。まず服装があまりにラフだった。下宿のキッチンからそのまま出てきたようなTシャツ姿、ざっくりまとめた髪。一瞬、怖いのか? と思った。いや、そんなはずはない。そんなはずはないと分かっていても、なんだか怖かった。一流のアーティストが無言で目の前にいるような怖さを感じていた。

でも話し始めた先生は、私が知っていたとおりの先生だった。いや、ずっとずっと素敵で素晴らしかった。力の抜けた、優しい話し方、小さな声。声が小さいと指摘され、「よく言われます」といって笑う先生(でもあんまり気にしていない、直らない笑 なんだか本に登場する先生を思い出す)

時々、話しながらご自分でツボにはまって笑い、笑いながら話を続ける。funnyではない、interestingすぎる物事に笑っているのだ。補足をぼそぼそと喋りながら、だんだんと声が小さくなっていく先生。とても可愛らしい話し方。すごく可愛い方だ。

うけているか、とかそんなことは関係ない(いや、笑いを取るポイントは、しっかり取っていかれるのだけれど。)ただ、講義をされている先生からは、己への信頼と幸福感があふれていた。誰と比べるでもなく、他人をあてにすることもなく、己として幸せなのだ。本の最後に現れた「ユリ」が、そこに実在していた。

 

飾らないとは、嘘がないとは、自分と他者の境界線をなくすことではないかと思う。他者の視点を、生きる世界を、自分のものとして受け入れる。自分を愛することと、他人を愛すること、他者を分け隔てなく愛することが一つになっていく。

奈倉先生は飾らない。飾らないのに己として凛と立っているのは、国と国を、人と人を、けっして言葉で分断せず、逆につないでいくという信念そのものなのだ。だからこんなに優しいのに、何があっても折れない強さがある。ラジオで初めて声を聞いたときに感じたことと同じだった。出会ったことがないのだ、こんな方には。

 

ゴーリキー大学の写真が出てきて、講義中に思わず涙がこぼれかけた。あまりによく知っている懐かしい場所を、初めてこの目で見た。レーヴィチ先生、マルガリータ先生、マーシャ……知っている人たちが次々と画面に登場する。みんな親しい人たちばかりだ。でもそこにあの人の姿はない。分かっていた。こんなところに簡単に現れたりはしないだろう。もしかすると、写真はないのかもしれない。愛おしそうな目で、奈倉先生は話を続ける。

とても当たり前のことを思う。文学とは、言葉だ。言葉は人なのだ。この方が書かれたから、この本はこんなにも魅力的で、出会ったことのない類の、とても手放しようのない輝きを放っているのだと。

映画『夕霧花園』を観た人は、どうか原作を読んでほしい

終戦記念日に合わせるつもりはなかったが、今日のうちに書いておきたい。

私は平成生まれの完全なる戦後世代だ。戦争に思いを馳せようとしても、テレビに映る記録映像を、何かしら優れた映像作品として観てしまう自分がいる。そんなもやもやとした膜のようなものを、今から三年前、ロンドン大学SOASでの修士時代に、真正面から斬り下ろしてくれた作家がいた。

現在公開中の阿部寛演の映『夕霧花園』 作を著した、マレーシア人作家、Tan Twan Eng(陳團英/タントゥアンエン)氏である。

Tan氏が著した二部作、The Gift of Rain(2007)The Garden of Evening Mists(2012)は、戦争の記憶、戦後の和解の可能性を、被害国であるマレーシアの側から日本に示した、たいへん希少な二つの物語だ。日本人に捧げられたとっても過言ではないこの二冊、ともに世界的に権威ある英国ブッカー賞の候補作となり、世界各国で翻訳されて非常に高い評価を得ていながら、なぜか日本ではまったく知られていない。この事実を映画を観た方はご存知だろうか?

映画の原作The Garden of Evening Mistsが、今般ようやく日本語で出版される。(彩流社/発予定日:2021/9/13)

夕霧花園(仮)

『夕霧花園』は非常に美しい映画なので、原作が気になって調べた方はいるかもしれない。でも今のところ、日本語による詳しい情報はどこにも出ていない。映画の公開と邦訳の発売にタイムラグが生じたために、気になっても読まずに終わってしまう方がたくさんいると思う。それが私は悲しいのだ。Tan氏の作品には、第二次世界大戦中に日本軍が犯した非人道的な殺戮が生々しく記されている。しかしながら、作品全体には日本に対する敬意があふれており、私たちに「責められている」という感情をまったく抱かせない。徹底したフェアな目線と、恐るべきバランス感覚のなせる技だ。映画と原作はかなり違っている。有朋とユンリン、二人の瞳に込められた思いの裏には、いったい何があるのか。映画で描かれていない物語の裏側には、想像をはるかに超えた世界が広がっている。

 

著者は中国系マレーシア人の英文作家

1972生まれのTan氏は、マレーシアペナン島出身の、中国系マレーシア人である。こう書くと、原作は何語なのかと思われるかもしれない。でも、Tan氏の母語は英語であり、彼の作品は英文学だ。マレーシアには、英領マラヤ時代に中国南部から移り住んだ華僑の末裔(ストレーツ・チャイニーズ/海峡華人)が多く暮らしており、若い世代が英語を主要言語として使っていることは珍しくない。尊敬する作家の一人には、カズオ・イシグロ氏の名が挙げられている

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ロンドン大学で法学を修め、弁護士としてクアラルンプールの法律事務所に勤務したのち、ケープタウン大学法学修士課程在学時に、The Gift of Rain2007(中文題/雨之賜)を著した。この作品が、デビュー作にして英国ブッカー賞の候補作となった。

五年後、第二作目のThe Garden of Evening Mists(2012)が同年のブッカー賞最終候補作となり、受賞者からノーベル賞作家を数多く出している国際IMPACダブリン文学賞の最終候補にもなった。この作品が、2019年、マレーシアの制作会社により、台湾のトム・リン監督が迎えられ映画化されたというわけだ。現在は南アフリカを拠点に執筆活動中である。彼の英文はとにかく美しい。英語が好きな方は、ぜひKindleのサンプルで冒頭をめくってみていただきたい。

 

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左がThe Gift of Rain、右がThe Garden of Evining Mistsのペーパーバック

イギリスのMyrmidon Books社から出版されたこの二作には、驚くほどたくさんの共通点がある。

  • 第二次世界大戦時の、日本軍のマラヤ侵攻という歴史的事件を題材にしている
  • マレーシアに生まれ育った主人公が、日本の戦争遂行に関与する一人の日本人男性と出会う
  • その日本人に、日本文化を通じて主人公が弟子入りし、やがて深い関係を築いていく
  • 主人公が後に回想を行う(時間軸が複数ある)
  • 日本軍がマラヤで犯した非人道的行為を、生々しく描いている
  • それなのに、作品全体が日本への愛と敬意に満ちている

これほどの要素をともにしていながら、二作は全く違った展開を見せる。The Gift of Rainでは、日本軍侵攻前夜のマレーシアペナン島で、豪商の家にイギリス人と中国人の混血として生まれた孤独な少年が、日本軍の諜報員に出会い、二人は退っ引きならない関係になっていく。私が最初に読んで心を打ち砕かれたのは、実はこのThe Gift of Rainだった。SOASの大学院時代に出版社を通じてTan氏と知り合い、これまでやり取りを続けさせていただいているのも、この作品の邦訳に関する論文を書いていて、内容の解釈や日本語にまつわる問題について色々と質問を投げかけたことがきっかけである。

映画『夕霧花園』と原作のThe Garden of Evening Mistsは、三つの時間軸を中心に物語が展開される点は同じだが、登場人物や設定が色々と異なっている。トム・リン監督による見事なアダプテーションがなされているのだ。映画の素晴らしさについては多くの方々が書いてくださっているので、以下、原作の内容を少しだけ紹介しつつ、映画と原作の違いや、映画の中に残された謎について記してみたい(真っ新な状態で原作を楽しまれたい方は、どうかこの駄文を読まれることなく、作品に触れていただければ幸いです)

 

三つの時間軸

  • 第一の時間軸:1987年、63歳のユンリンが夕霧に帰り、回想を行う
  • 第二の時間軸:1951年、28歳のユンリンが夕霧を訪れ、有朋に出会う
  • 第三の時間軸:1941年、18歳のユンリンが姉とともに強制労働収容所に送られる

 

姉妹が日本を訪れた理由、姉と妹が逆であること

収容所で生き埋めにされたヒロインの姉妹、ユンホンは、家族で日本を訪れた際に、京都で目にした日本庭園に魅せられた。小説の中では1938年に日本を訪れたことになっているが、何故そのような時期に、姉妹はアジア侵略を推し進める日本に旅をしたのか?

映画では説明されていないが、そこにはユンリン姉妹の父の存在がある。父親は日本の侵略に苦しむ中国を支援する活動しており、日本軍侵攻後は憲兵に拷問され、二人の娘は過酷な強制労働収容所へ送られることになった。父が家族を連れて日本を訪れたのは、ゴムの買付をしたい日本政府に招きに応じてのことだったが、それも実際は、中国国民党政府の指示によるスパイ行為であった。

このようにして接待旅行で訪れた京都の日本庭園に、ユンホンは心奪われるのである。映画では天龍寺の庭に魅せられたと言っているが、小説では成就院東福寺金閣寺に行ったとユンリンは話している。天龍寺の名を口に出すのは有朋だ。天竜寺の庭が、作品のキーワードである「借景」を初めて取り入れた庭であるらしい。曹源池庭園の看板には、「左手に嵐山、正面に亀山、小倉山 右手遠景に愛宕山を借景にした池泉回遊式庭園」と記されている。

 

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京都嵯峨野の天龍寺(筆者撮影)

 

ユンホンは映画ではユンリンの妹だが、原作の中では三歳年上での姉である。入れ替えた理由は明かされていないけれど、ユンホン役のセレーヌ・リムが素晴らしかったことは、映画を観た方ならおわかりだろう。

Tan氏からこんな話を聞いた。トム・リン監督談だが、ユンホン役のオーディションのとき、セレーヌ・リムは緊張のあまりに震えが止まらなかった。だがともにシーンを演じたユンリン役の李心潔(リー・シンジエ)が黙って手を差しのべ、彼女の手をにぎると、それだけでセレーヌは落ち着きを取り戻したのだという。その瞬間に、トム監督はユンホンを演じるべき女優を見つけたと思ったのだそうだ。

ユンホンが殺される直前、別れ際の二人の視線のやり取りは、とても涙なしでは見られなかった。後述するが、このあたりは原作と設定がかなり異なっている。それなのに、あの短いシーンの無言のやり取りには、小説の中で互いを思い合う姉妹の深い愛情が、そのまま映し出されているように思えた。

映画の中で、ユンホンが川に灯籠を浮かべた風景を夢を見る姿はとても印象的だ。この美しさは、実はトム・リン監督による見事なアダプテーションである(と私は思っている)。無数の灯籠の光が生み出す幻想的な光景は、小説ではまったく違った場面で登場する。個人的には一番好きなシーンのひとつだ。

 

1987年、ユンリンを訪ねる日本人歴史学者

トム監督も大きな変更点として朝日新聞のインタビューで触れておられるが、まず原作には、冒頭から吉川タツジ(表記は仮)という名の歴史学者が登場する。

1987年、浮世絵の大家である吉川教授が、ユンリンを訪ねて夕霧にやってくるところから物語は始まる。元宮廷庭師であると同時に高名な浮世絵師でもあった有朋は、マレーシアに残した作品の一切合切をユンリンに託していた。これを本に纏めることが教授の目的だ。

同時に吉川は、有朋の手になる「彫り物(入れ墨)」の作品を探しつづけている。浮世絵と彫り物は、芸術史上切っても切れない関係にあり、有朋による彫り物の作品の価値ははかり知れないのである。ユンリンは浮世絵の調査は許可するが、彫り物への言及は許そうとしない。

だが物語が進むにつれて、かつて特攻隊のパイロットであった吉川自身の過去が明かされてゆき、やがて彼が有朋の彫り物を追い求める真の理由が明らかになる。この部分は、第一の時間軸の中で、一種の独立した物語となっており、とても悲しく切ない。海外の作家が描いたとは思えない、日本人の心に寄り添ったinner narrativeである。

 

1941年、収容所に現れる謎の日本人男性

もう一人、映画には登場しない日本人がいる。トミナガ(表記は仮)という人物だが、貴人風の身なりをした彼は有朋と深いつながりがあり、強制収容所におけるリンの運命を変えていく重要人物である。

収容所で姉のユンホンと引き離されたユンリンは、数年間過酷な労働に従事させられたのち、日本語の知識を買われ、翻訳者としてトミナガに引き合わされる。彼女のつたない日本語は実際役には立たなかったが、姉のおかげで日本庭園の知識を持っていたユンリンを、トミナガは話し相手として重宝しはじめる。

有朋とトミナガが作中で出会うことはないが、二人は日本庭園というキーワードを通じて、異なる時間軸の中で互いの名前を口にし、ユンリンの運命を大きく動かしていく。

有朋はなぜユンリンの弟子入りを受け入れたのか? ユンリンはなぜ、収容所でたった一人生き残ったのか? なぜ姉を置いて逃げねばならなかったのか?

その謎を解く鍵はみなこの人物が握っており、小説に関して言えば、この物語は彼の存在なしに語ることのできない構造になっている。

 

記憶を失いゆくユンリン

映画と原作との大きな違いは、1980年代のユンリンの役柄の設定だ。映画では、マレーシア史上二人目の女性裁判官として輝かしいキャリアを持つ彼女が、かつて愛した有朋に日本軍のスパイであった疑いが浮上していることを知り、彼の潔白を証明しようとする。

しかし小説の中のユンリン(63歳)は、冒頭でマレーシア連邦裁判所判事の職を辞し、34年ぶりに夕霧に戻り、吉川と面会する。彼女はとある病に冒されており、近いうちに記憶と言葉を失いゆく運命にある。

原作The Garden of Evening Mistsのエピグラムはこうだ。

There is a goddess of Memory, Mnemosyne; but none of Forgetting. Yet there should be, as they are twin sisters, twin powers, and walk on either side of us, disputing for sovereignty over us and who we are, all the way until death.

RICHARD HOLMES, A Meander Through Memory and Forgetting

(引用:The Garden of Evening Mists(2012)p.7)

詳しい翻訳はしないが、「記憶の女神はいるのに、忘却の女神はいない。だがいてしかるべきではないのか? なぜなら……」という内容である。

「愛と赦し」をテーマに据えた映画に対し、原作では「記憶」と「忘却」の二項対立の意義がつねに問いかけられている。刻々とタイムリミットが迫る中、ユンリンは旧友のフレデリックに促され、過去の記憶を紐解きはじめるのだ。

痛ましい記憶、それを忘れることの意味、加害の過去との向き合い方、その記憶を手放すこと……有朋はユンリンに何を教えたのか。ひとすじ縄ではいかないこのテーマが、日本庭園における「借景」の概念と絡みあい、それは最終的に、有朋が彼女の背に彫り物を刻んだ理由へと繋がっていく。

 

ユンリンはなぜ有朋を愛したのか?

そしてもう一つ、映画と原作には決定的な違いがあると私は思っている。ユンリンが有朋を愛するようになる経緯だ。(これは完全に私見なので、読み違いや反論があれば、ぜひ教えていただけると嬉しいです

映画の中では、ユンリンは亡き妹のために日本庭園を造ろうと有朋に弟子入りして日々を過ごすうち、やがて有朋に惹かれていく。日本軍に虐げられた過去の痛みは、有朋との愛を通じ、時を超えて昇華されていく。

トム・リン監督はインタビューで、「物語のメッセージは明快だ。互いを理解し愛することで、人は差別や憎しみを乗り越えられる」と語っておられる。映画の中心には、このシンプルかつ重大なメッセージが据えられている。

www.asahi.com

 

いっぽう原作には、二人が恋愛関係となる直前に、こんな一節があるのだ。

Standing there with our heads tilted back to the sky, out faces lit by ancient starlight and the dying fires of those fragment of a planet broken up long ago, I forgot where I was, what I had gone through, what I had lost.

(引用:The Garden of Evening Mists(2012)p215)

有朋とともに夕霧の庭の美しさの中に溶け込んだユンリンは、ほんの一時、背負いつづけた苦しみを忘れている。そのことに彼女が気づく瞬間が、有朋との関係を深める上で、とても大切な契機となっている。ある意味プロセスがまったく逆なのである。

忘れがたく辛い過去を背負ったユンリンが、憎むべき日本人である有朋とともに、美しい夕霧の庭で、我を忘れて星を見上げている。その情景を四角の中に切り取って眺めたとき、忘れがたい記憶とは、いったいどれほどの力を持ちうるのか? 彼女が「借景」の意味を理解しかけた瞬間ではないのかと、私は思っている。 

 

有朋はどこへ消えたのか?

映画を観た方にとって、いちばんの謎はここだろう。しかしながら、この謎の答えは原作でも明かされていない。なのでこのインタビューを読んだときは驚いた。Tan氏はトム・リン監督の質問に「有朋は森に行き、自分の居場所を見つけ、そこで永遠にたたずんでいる」と答えているのだ。

globe.asahi.com


でも冷静に考えれば、これが答えでないことはすぐにわかる。有朋の居場所とはいったいどこなのか?「物語は読者のものであり、読者にはそれぞれ自身の結論を得てもらいたい」というのは、原作者Tan氏の万年変わらぬ想いである。

様々なことが細密に記されていながら、Tan氏の小説にはつねに謎が残されている。それは読者を置き去りにする謎ではなく、悲しみとともに読者を包み込んでくれる優しい謎だ。極彩色の布団に包まれ、思考の波に飲まれながら眠るのはとても心地が良い。そして知らず知らずのうちに、私たちは過去の戦争に思いを馳せている。戦争の記憶が胸に刻まれ、次世代へと受け継がれてしまっている。

 

夕霧の庭

最後に書いておきたい。映画のタイトルは『夕霧花園』であり、原作小説の題名も、中国語のサイトでは『夕霧花園』と記されている。台湾人の監督によってマレーシアで制作された映画のタイトルが中文なのもうなずける。そして、彩流社から出版される邦訳も、仮題は『夕霧花園』だ。映画の公開に合わせて発売するのだから、それが自然なのかもしれない。

でもこれを日本語にするのなら、ほんとうは『夕霧の庭』なのではなかろうか。だって、これは有朋が作った夕霧庭園なのだ。花園ではない。加えて最初に書いたように、Tan氏の母語は英語であり、彼は英文学の作家だ。原題はあくまでThe Garden of Evening Mistsであり、それは本来、有朋が記した庭の名「夕霧」の英訳なのだと、私は思うのだけれど、どうなのだろう?

 

もし原作を読まれた方は、ぜひ感想教えていただけると嬉しいです。