インスーリンダ紀行

英日翻訳者(ロンドン大学SOAS翻訳修士課程修了)が、愛する小説の翻訳と格闘しつつ、心動かされた文学について書いています。

映画『夕霧花園』を観た人は、どうか原作を読んでほしい

終戦記念日に合わせるつもりはなかったが、今日のうちに書いておきたい。

私は平成生まれの完全なる戦後世代だ。戦争に思いを馳せようとしても、テレビに映る記録映像を、何かしら優れた映像作品として観てしまう自分がいる。そんなもやもやとした膜のようなものを、今から三年前、ロンドン大学SOASでの修士時代に、真正面から斬り下ろしてくれた作家がいた。

現在公開中の阿部寛演の映『夕霧花園』 作を著した、マレーシア人作家、Tan Twan Eng(陳團英/タントゥアンエン)氏である。

Tan氏が著した二部作、The Gift of Rain(2007)The Garden of Evening Mists(2012)は、戦争の記憶、戦後の和解の可能性を、被害国であるマレーシアの側から日本に示した、たいへん希少な二つの物語だ。日本人に捧げられたとっても過言ではないこの二冊、ともに世界的に権威ある英国ブッカー賞の候補作となり、世界各国で翻訳されて非常に高い評価を得ていながら、なぜか日本ではまったく知られていない。この事実を映画を観た方はご存知だろうか?

映画の原作The Garden of Evening Mistsが、今般ようやく日本語で出版される。(彩流社/発予定日:2021/9/13)

夕霧花園(仮)

『夕霧花園』は非常に美しい映画なので、原作が気になって調べた方はいるかもしれない。でも今のところ、日本語による詳しい情報はどこにも出ていない。映画の公開と邦訳の発売にタイムラグが生じたために、気になっても読まずに終わってしまう方がたくさんいると思う。それが私は悲しいのだ。Tan氏の作品には、第二次世界大戦中に日本軍が犯した非人道的な殺戮が生々しく記されている。しかしながら、作品全体には日本に対する敬意があふれており、私たちに「責められている」という感情をまったく抱かせない。徹底したフェアな目線と、恐るべきバランス感覚のなせる技だ。映画と原作はかなり違っている。有朋とユンリン、二人の瞳に込められた思いの裏には、いったい何があるのか。映画で描かれていない物語の裏側には、想像をはるかに超えた世界が広がっている。

 

著者は中国系マレーシア人の英文作家

1972生まれのTan氏は、マレーシアペナン島出身の、中国系マレーシア人である。こう書くと、原作は何語なのかと思われるかもしれない。でも、Tan氏の母語は英語であり、彼の作品は英文学だ。マレーシアには、英領マラヤ時代に中国南部から移り住んだ華僑の末裔(ストレーツ・チャイニーズ/海峡華人)が多く暮らしており、若い世代が英語を主要言語として使っていることは珍しくない。尊敬する作家の一人には、カズオ・イシグロ氏の名が挙げられている

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ロンドン大学で法学を修め、弁護士としてクアラルンプールの法律事務所に勤務したのち、ケープタウン大学法学修士課程在学時に、The Gift of Rain2007(中文題/雨之賜)を著した。この作品が、デビュー作にして英国ブッカー賞の候補作となった。

五年後、第二作目のThe Garden of Evening Mists(2012)が同年のブッカー賞最終候補作となり、受賞者からノーベル賞作家を数多く出している国際IMPACダブリン文学賞の最終候補にもなった。この作品が、2019年、マレーシアの制作会社により、台湾のトム・リン監督が迎えられ映画化されたというわけだ。現在は南アフリカを拠点に執筆活動中である。彼の英文はとにかく美しい。英語が好きな方は、ぜひKindleのサンプルで冒頭をめくってみていただきたい。

 

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左がThe Gift of Rain、右がThe Garden of Evining Mistsのペーパーバック

イギリスのMyrmidon Books社から出版されたこの二作には、驚くほどたくさんの共通点がある。

  • 第二次世界大戦時の、日本軍のマラヤ侵攻という歴史的事件を題材にしている
  • マレーシアに生まれ育った主人公が、日本の戦争遂行に関与する一人の日本人男性と出会う
  • その日本人に、日本文化を通じて主人公が弟子入りし、やがて深い関係を築いていく
  • 主人公が後に回想を行う(時間軸が複数ある)
  • 日本軍がマラヤで犯した非人道的行為を、生々しく描いている
  • それなのに、作品全体が日本への愛と敬意に満ちている

これほどの要素をともにしていながら、二作は全く違った展開を見せる。The Gift of Rainでは、日本軍侵攻前夜のマレーシアペナン島で、豪商の家にイギリス人と中国人の混血として生まれた孤独な少年が、日本軍の諜報員に出会い、二人は退っ引きならない関係になっていく。私が最初に読んで心を打ち砕かれたのは、実はこのThe Gift of Rainだった。SOASの大学院時代に出版社を通じてTan氏と知り合い、これまでやり取りを続けさせていただいているのも、この作品の邦訳に関する論文を書いていて、内容の解釈や日本語にまつわる問題について色々と質問を投げかけたことがきっかけである。

映画『夕霧花園』と原作のThe Garden of Evening Mistsは、三つの時間軸を中心に物語が展開される点は同じだが、登場人物や設定が色々と異なっている。トム・リン監督による見事なアダプテーションがなされているのだ。映画の素晴らしさについては多くの方々が書いてくださっているので、以下、原作の内容を少しだけ紹介しつつ、映画と原作の違いや、映画の中に残された謎について記してみたい(真っ新な状態で原作を楽しまれたい方は、どうかこの駄文を読まれることなく、作品に触れていただければ幸いです)

 

三つの時間軸

  • 第一の時間軸:1987年、63歳のユンリンが夕霧に帰り、回想を行う
  • 第二の時間軸:1951年、28歳のユンリンが夕霧を訪れ、有朋に出会う
  • 第三の時間軸:1941年、18歳のユンリンが姉とともに強制労働収容所に送られる

 

姉妹が日本を訪れた理由、姉と妹が逆であること

収容所で生き埋めにされたヒロインの姉妹、ユンホンは、家族で日本を訪れた際に、京都で目にした日本庭園に魅せられた。小説の中では1938年に日本を訪れたことになっているが、何故そのような時期に、姉妹はアジア侵略を推し進める日本に旅をしたのか?

映画では説明されていないが、そこにはユンリン姉妹の父の存在がある。父親は日本の侵略に苦しむ中国を支援する活動しており、日本軍侵攻後は憲兵に拷問され、二人の娘は過酷な強制労働収容所へ送られることになった。父が家族を連れて日本を訪れたのは、ゴムの買付をしたい日本政府に招きに応じてのことだったが、それも実際は、中国国民党政府の指示によるスパイ行為であった。

このようにして接待旅行で訪れた京都の日本庭園に、ユンホンは心奪われるのである。映画では天龍寺の庭に魅せられたと言っているが、小説では成就院東福寺金閣寺に行ったとユンリンは話している。天龍寺の名を口に出すのは有朋だ。天竜寺の庭が、作品のキーワードである「借景」を初めて取り入れた庭であるらしい。曹源池庭園の看板には、「左手に嵐山、正面に亀山、小倉山 右手遠景に愛宕山を借景にした池泉回遊式庭園」と記されている。

 

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京都嵯峨野の天龍寺(筆者撮影)

 

ユンホンは映画ではユンリンの妹だが、原作の中では三歳年上での姉である。入れ替えた理由は明かされていないけれど、ユンホン役のセレーヌ・リムが素晴らしかったことは、映画を観た方ならおわかりだろう。

Tan氏からこんな話を聞いた。トム・リン監督談だが、ユンホン役のオーディションのとき、セレーヌ・リムは緊張のあまりに震えが止まらなかった。だがともにシーンを演じたユンリン役の李心潔(リー・シンジエ)が黙って手を差しのべ、彼女の手をにぎると、それだけでセレーヌは落ち着きを取り戻したのだという。その瞬間に、トム監督はユンホンを演じるべき女優を見つけたと思ったのだそうだ。

ユンホンが殺される直前、別れ際の二人の視線のやり取りは、とても涙なしでは見られなかった。後述するが、このあたりは原作と設定がかなり異なっている。それなのに、あの短いシーンの無言のやり取りには、小説の中で互いを思い合う姉妹の深い愛情が、そのまま映し出されているように思えた。

映画の中で、ユンホンが川に灯籠を浮かべた風景を夢を見る姿はとても印象的だ。この美しさは、実はトム・リン監督による見事なアダプテーションである(と私は思っている)。無数の灯籠の光が生み出す幻想的な光景は、小説ではまったく違った場面で登場する。個人的には一番好きなシーンのひとつだ。

 

1987年、ユンリンを訪ねる日本人歴史学者

トム監督も大きな変更点として朝日新聞のインタビューで触れておられるが、まず原作には、冒頭から吉川タツジ(表記は仮)という名の歴史学者が登場する。

1987年、浮世絵の大家である吉川教授が、ユンリンを訪ねて夕霧にやってくるところから物語は始まる。元宮廷庭師であると同時に高名な浮世絵師でもあった有朋は、マレーシアに残した作品の一切合切をユンリンに託していた。これを本に纏めることが教授の目的だ。

同時に吉川は、有朋の手になる「彫り物(入れ墨)」の作品を探しつづけている。浮世絵と彫り物は、芸術史上切っても切れない関係にあり、有朋による彫り物の作品の価値ははかり知れないのである。ユンリンは浮世絵の調査は許可するが、彫り物への言及は許そうとしない。

だが物語が進むにつれて、かつて特攻隊のパイロットであった吉川自身の過去が明かされてゆき、やがて彼が有朋の彫り物を追い求める真の理由が明らかになる。この部分は、第一の時間軸の中で、一種の独立した物語となっており、とても悲しく切ない。海外の作家が描いたとは思えない、日本人の心に寄り添ったinner narrativeである。

 

1941年、収容所に現れる謎の日本人男性

もう一人、映画には登場しない日本人がいる。トミナガ(表記は仮)という人物だが、貴人風の身なりをした彼は有朋と深いつながりがあり、強制収容所におけるリンの運命を変えていく重要人物である。

収容所で姉のユンホンと引き離されたユンリンは、数年間過酷な労働に従事させられたのち、日本語の知識を買われ、翻訳者としてトミナガに引き合わされる。彼女のつたない日本語は実際役には立たなかったが、姉のおかげで日本庭園の知識を持っていたユンリンを、トミナガは話し相手として重宝しはじめる。

有朋とトミナガが作中で出会うことはないが、二人は日本庭園というキーワードを通じて、異なる時間軸の中で互いの名前を口にし、ユンリンの運命を大きく動かしていく。

有朋はなぜユンリンの弟子入りを受け入れたのか? ユンリンはなぜ、収容所でたった一人生き残ったのか? なぜ姉を置いて逃げねばならなかったのか?

その謎を解く鍵はみなこの人物が握っており、小説に関して言えば、この物語は彼の存在なしに語ることのできない構造になっている。

 

記憶を失いゆくユンリン

映画と原作との大きな違いは、1980年代のユンリンの役柄の設定だ。映画では、マレーシア史上二人目の女性裁判官として輝かしいキャリアを持つ彼女が、かつて愛した有朋に日本軍のスパイであった疑いが浮上していることを知り、彼の潔白を証明しようとする。

しかし小説の中のユンリン(63歳)は、冒頭でマレーシア連邦裁判所判事の職を辞し、34年ぶりに夕霧に戻り、吉川と面会する。彼女はとある病に冒されており、近いうちに記憶と言葉を失いゆく運命にある。

原作The Garden of Evening Mistsのエピグラムはこうだ。

There is a goddess of Memory, Mnemosyne; but none of Forgetting. Yet there should be, as they are twin sisters, twin powers, and walk on either side of us, disputing for sovereignty over us and who we are, all the way until death.

RICHARD HOLMES, A Meander Through Memory and Forgetting

(引用:The Garden of Evening Mists(2012)p.7)

詳しい翻訳はしないが、「記憶の女神はいるのに、忘却の女神はいない。だがいてしかるべきではないのか? なぜなら……」という内容である。

「愛と赦し」をテーマに据えた映画に対し、原作では「記憶」と「忘却」の二項対立の意義がつねに問いかけられている。刻々とタイムリミットが迫る中、ユンリンは旧友のフレデリックに促され、過去の記憶を紐解きはじめるのだ。

痛ましい記憶、それを忘れることの意味、加害の過去との向き合い方、その記憶を手放すこと……有朋はユンリンに何を教えたのか。ひとすじ縄ではいかないこのテーマが、日本庭園における「借景」の概念と絡みあい、それは最終的に、有朋が彼女の背に彫り物を刻んだ理由へと繋がっていく。

 

ユンリンはなぜ有朋を愛したのか?

そしてもう一つ、映画と原作には決定的な違いがあると私は思っている。ユンリンが有朋を愛するようになる経緯だ。(これは完全に私見なので、読み違いや反論があれば、ぜひ教えていただけると嬉しいです

映画の中では、ユンリンは亡き妹のために日本庭園を造ろうと有朋に弟子入りして日々を過ごすうち、やがて有朋に惹かれていく。日本軍に虐げられた過去の痛みは、有朋との愛を通じ、時を超えて昇華されていく。

トム・リン監督はインタビューで、「物語のメッセージは明快だ。互いを理解し愛することで、人は差別や憎しみを乗り越えられる」と語っておられる。映画の中心には、このシンプルかつ重大なメッセージが据えられている。

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いっぽう原作には、二人が恋愛関係となる直前に、こんな一節があるのだ。

Standing there with our heads tilted back to the sky, out faces lit by ancient starlight and the dying fires of those fragment of a planet broken up long ago, I forgot where I was, what I had gone through, what I had lost.

(引用:The Garden of Evening Mists(2012)p215)

有朋とともに夕霧の庭の美しさの中に溶け込んだユンリンは、ほんの一時、背負いつづけた苦しみを忘れている。そのことに彼女が気づく瞬間が、有朋との関係を深める上で、とても大切な契機となっている。ある意味プロセスがまったく逆なのである。

忘れがたく辛い過去を背負ったユンリンが、憎むべき日本人である有朋とともに、美しい夕霧の庭で、我を忘れて星を見上げている。その情景を四角の中に切り取って眺めたとき、忘れがたい記憶とは、いったいどれほどの力を持ちうるのか? 彼女が「借景」の意味を理解しかけた瞬間ではないのかと、私は思っている。 

 

有朋はどこへ消えたのか?

映画を観た方にとって、いちばんの謎はここだろう。しかしながら、この謎の答えは原作でも明かされていない。なのでこのインタビューを読んだときは驚いた。Tan氏はトム・リン監督の質問に「有朋は森に行き、自分の居場所を見つけ、そこで永遠にたたずんでいる」と答えているのだ。

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でも冷静に考えれば、これが答えでないことはすぐにわかる。有朋の居場所とはいったいどこなのか?「物語は読者のものであり、読者にはそれぞれ自身の結論を得てもらいたい」というのは、原作者Tan氏の万年変わらぬ想いである。

様々なことが細密に記されていながら、Tan氏の小説にはつねに謎が残されている。それは読者を置き去りにする謎ではなく、悲しみとともに読者を包み込んでくれる優しい謎だ。極彩色の布団に包まれ、思考の波に飲まれながら眠るのはとても心地が良い。そして知らず知らずのうちに、私たちは過去の戦争に思いを馳せている。戦争の記憶が胸に刻まれ、次世代へと受け継がれてしまっている。

 

夕霧の庭

最後に書いておきたい。映画のタイトルは『夕霧花園』であり、原作小説の題名も、中国語のサイトでは『夕霧花園』と記されている。台湾人の監督によってマレーシアで制作された映画のタイトルが中文なのもうなずける。そして、彩流社から出版される邦訳も、仮題は『夕霧花園』だ。映画の公開に合わせて発売するのだから、それが自然なのかもしれない。

でもこれを日本語にするのなら、ほんとうは『夕霧の庭』なのではなかろうか。だって、これは有朋が作った夕霧庭園なのだ。花園ではない。加えて最初に書いたように、Tan氏の母語は英語であり、彼は英文学の作家だ。原題はあくまでThe Garden of Evening Mistsであり、それは本来、有朋が記した庭の名「夕霧」の英訳なのだと、私は思うのだけれど、どうなのだろう?

 

もし原作を読まれた方は、ぜひ感想教えていただけると嬉しいです。